村上春樹著 『大いなるメコン川の畔で』
こんばんは。
オロチです。
今夜は、村上春樹著 『大いなるメコン川の畔で』を読んで感じたことを少しばかり。
最近の村上春樹氏の小説は読んでいないが、彼が『ノルウェーの森』で有名になる以前から、彼の小説は読んでいた。
『風の歌を聴け』
『1973年のピンボール』
『羊をめぐる冒険』
『中国行きのスロウ・ボート』
『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』
『ダンス・ダンス・ダンス』
『海辺のカフカ』
『羊男のクリスマス』
『カンガルー日和』
それぞれ素敵な作品だ。
時々、村上氏の小説に登場する羊男は、羊の服を着た男性。
すごく存在感があり、私のお気に入りである。
しかし、『ラオスにいったい何があるというんですか?』
は、読んでいなかった。
今回の旅行で、ラオスも旅することから、嫁さんに、図書館で借りてきてもらった。
本のタイトルは『ラオスにいったい何があるというんですか?』(紀行文集)
しかし、この本の中に、『ラオスにいったい何があるというんですか?』という紀行文はない。
あくまで、タイトルのみ。
しかし、『大いなるメコン川の畔で』ルアンプラバン(ラオス)という紀行文が存在する。
著者が、ラオスに行く途中に一泊したハノイで、ヴェトナムの人から、
「どうしてまたラオスなんかに行くんですか?」と、質問され、
それがこの本のタイトルになったのだ。
村上氏は、この作品の中で、こう語っている、
『ルアンプラバンで歩いてのんびり寺院を巡りながら、ひとつ気がついたことがある。それは「普段(日本で暮らしているとき)僕らはあまりきちんとものを見てはいなかったんだな」ということだ。(中略) 本当の自前の目でものを見る(観る)というのがどういうことかさえ、僕らにはだんだんわからなくなってくる。』と。
そうかもしれない。
会社を退職(厳密には、4月1日から)し、私はもうどこにも属していない。
属しているものがあるとすれば、家庭だけ。
どこにも属していないということは、こうあらねば、こうしなければ、
なんてことから解放されるということ。
本来の自分自身にもどり、何事にもとらわれず、自分自身の目で見、考えられる。
ラオスへの旅は、タイのビザ延長の付け足しと考えていたが、
今日、『大いなるメコン川の畔で』を読んだことで、
クルーズ船でメコン川を、ファイサイからルアンパバーンまで旅すること、
ルアンパバーンの街をゆっくり観光すること、
が大きな目的のひとつとなった。
きっと感動の旅になると思う。
それでは、みなさん、おやすみなさい。
まだ、早いかな?
バッシっとお願いします🙇