ベトナム人女性が、「韓国軍に虐殺の被害を受けた」と、韓国政府を訴えた!!
グエン・ティ・タンさんは8歳だった1968年12月、韓国軍に銃撃されて母親や姉、弟、伯母、いとこなどが犠牲になったとして訴訟を起こした。
グエンさんと民弁TFによると、当時ベトナムのクアンナム省ポンニ村で韓国軍青竜部隊に所属する軍人らによる銃撃が発生し、非武装地帯の民間人74人が虐殺されたという。
ベトナム戦争での民間人虐殺の被害を主張して韓国政府を訴えた初のケース。
ベトナム戦争下における韓国軍の蛮行については、未だ公式な補償が行われていない。
韓国がベトナム戦争に参戦したのは、朴正煕政権時代のことだ。
内戦に介入していた米国が北爆を開始し、ベトナム戦争が本格化。
1964年から支援部隊を送っていた韓国も本格的な派兵を決める。
南ベトナム政府からの要請という名目で1965年に集団的自衛権を行使し、朴大統領は延べ32万人もの兵士を投入したのである。
派兵されたのは「猛虎隊」、「青龍隊」、「白馬隊」と呼ばれる3部隊だった。大規模な虐殺が行われていたのは、主にフーイエン、ビンディン、クワンガイ、クワンナムの4か所。
いずれも韓国軍駐屯地の周辺だった。
韓国軍はベトナム人から「ダイハン(大韓)」、「朴正煕の兵士達」と呼ばれ、怖れられていたという。
「生き残った方々の証言から、村人を一カ所に集めては手榴弾を投げつけられた、生まれたばかりの乳児が40人以上も殺された、などという凄惨な話が次々と出てきました。機関銃で殺したり、洞窟に逃げ込んだ村民を催涙ガスで燻りだして銃殺するケースもあった。
なぜ虐殺が起きたのかといえば、韓国軍が基地を作るためでした。
基地を作りたい場所の周辺に村があると、敵が潜伏する隠れ家になりやすい。
そこで村人を戦略村(事実上の収容所)に送ろうとしたのですが、ほとんどの村人は村を離れようとしなかった。
『私は1mmもここから離れません』と標語を掲げたり、木にしがみ付いて戦略村送りを拒否する村人が多かった。
そこで韓国軍が選んだ方法が虐殺だったのです。
虐殺の85%は1966年に集中していますが、ほとんどは基地設営のためでした」
さあ、選挙で圧勝した文在寅大統領、
更に、反日的な政策が推し進めるんもええけど、
あんたたちが行った、ベトナム民間人大量虐殺は、どうすんねん!!
バッシっとお願いします🙇